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東京地方裁判所 昭和48年(ワ)4736号 判決

原告

青山光英

ほか一名

被告

株式会社天狗

主文

原告両名の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は、原告両名の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

原告両名訴訟代理人は、「被告は、原告両名に対し、それぞれ金二、一五八万円及び右各金員に対する昭和四七年四月一日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求めた。

第二請求の原因等

原告両名訴訟代理人は、本訴請求の原因等として、次のとおり述べた。

一  事故の発生

青山光司(以下「亡青山」という。)は、昭和四七年一月三一日午前八時三二分ごろ、原動機付自転車(大田区い八五三九号。以下「原告車」という。)を運転し、東京都大田区北馬込町一丁目二八番地一号先の環状七号線(以下「本件道路」という。)内回り線路上を長原方面(北西)から大森方面(南東)に走行中、後方から同方向に進行してきた訴え取下前の相被告福田一夫(以下「福田」という。)の運転する普通貨物自動車(足立一一さ五九八四号。以下「被告車」という。)に接触されて負傷し、同日死亡した。

二  本件事故発生の状況

1  本件事故現場は、別紙現場見取図(以下「見取図」という。)第一及び第二のとおり、幅員八・二メートルで二車線に区分された内回り線路上で、本件事故当時、〈A〉のとおり、井上貞一郎の運転する普通貨物自動車(品川四ぬ四〇三一号。以下「井上車」という。)が第一通行帯の路端沿いに駐車していたのであるが、福田は、被告車を運転し、被告車の左側面が路端から三メートルになる(駐車中の井上車の右側面から〇・九メートルになる。)付近を時速約七〇キロメートルで大森方向に直進し、時速約三〇キロメートルで路端から一・一メートル付近を同方向に走行していた原告車を井上車の後方で追い上げたため、亡青山は、井上車の右側面を通過する際被告車と衝突することを回避するため、可能な限り進路を井上車の右側面寄りにとるべく、井上車の後端一〇・二メートル付近から右にゆるくハンドルを切りつつ急制動措置を採つたため、井上車の荷台右後角に原告車の左バツクミラーの支柱上部を衝突させたが、なお、安定を失うことなく、井上車右側面沿いに約一メートル進行したところ、従前の速度のまま、路端から三メートル付近(被告車の最左端である左側バツクミラーの鉄棒から井上車の右側面との距離は〇・八五メートル)を直進してきた被告車の左側バツクミラーの鉄棒により後頭部を打撃され、意識に障害を受けるとともに続いて被告車の荷台左側面で両肩甲部に擦過傷を受け、無防備のまま路上に転倒し、頭蓋内損傷の致命傷を受けて死亡したものである。

2  しかして、右に述べた本件事故の発生状況は、次に述べる諸事実に徴すれば明らかである。

(一) 被告車と原告車は、ともに、井上車後端から内回り線の停止線が約九四・九メートル長原寄りになるリコー前交差点で、原告車は路端寄りに停止線の直前で、被告車は先頭車からほぼ五台目である停止線の約二二・八メートル後方で信号待ちをした後発進し、本件事故現場に至り、井上車後端付近で被告車が原告車に追い付いたものであるところ、リコー前交差点で先頭で信号待ち後発進した四輪自動車は、経験によれば、井上車後端の一四・七メートル手前に時速六〇キロメートル前後で差し掛り、なお加速傾向にあるのが通例で、このことに、被告車が右先頭車より約三七・五メートル余計に走行して井上車後端に差し掛つたこと並びに原告車は、井上車との接触前時速約三〇キロメートルで走行していたところ、福田は、井上車の後端から二〇・一一メートル手前を走行中、井上車の後端から八・五五メートル手前を走行中の原告車を認めており、その相互の距離関係及び原告車の右速度から被告車の速度を求めると時速七〇キロメートル程度になることに鑑みれば、被告車の時速は約七〇キロメートルと推認すべきこと。

(二) 本件事故現場には、見取図第一のとおり、本件事故の痕跡として、北西から順次、長さ二・二三メートルのスリツプ痕A、長さ〇・二メートルの擦過痕B(以下、この長さ〇・二メートルの痕跡を「条痕B」という。)、長さ一・二メートルのスリツプ痕C(実況見分調書では擦過痕とされているが誤りである。以下この長さ一・二メートルの痕跡を「条痕C」という。)、長さ八・四メートルの擦過痕E及び長さ六・八五メートルの擦過痕Fが路面に付着していたが、擦過痕Eは右側に転倒して停止した原告車の下部に、擦過痕Fは原告車の上部につながつており、両擦過痕の間隔は〇・三九メートルであるから、擦過痕Eは原告車右側ステツプの先端により、擦過痕Fは原告車の右側ブレーキレバーの先端により(ステツプの先端とブレーキレバーの先端の間隔は〇・四二五メートルである。)付着されたものとみるべきゆえ、擦過痕Eの始点で原告車は右に横転したと考えられるところ、条痕Cは、擦過痕Eの手前あり、しかも擦過痕Eから大きく離れているから、原告車の転倒後の擦過痕、原告車のタイヤ痕あるいは亡青山の靴の擦り痕等原告車側の痕跡とは考えられず、被告車が右急ハンドル転把時その左後輪により印象したタイヤ痕若しくはスリツプ痕と考えるほかないところ、条痕Cは路端から三・四一メートルに位置するから、条痕Cの付着直前においては、被告車の左側面は路端から三メートル程度離れていた(右の三・四一メートルから、右急ハンドル転把前の前輪位置と転把後の後輪位置の差〇・二メートルと、被告車のタイヤと側面との間隔〇・二一メートルを差し引いた数値)と考えるべきであるから、被告車は、原告車との衝突直前、路端から三メートル付近、すなわち、井上車の右側端から〇・九メートル付近を直進していたと考えられること。

(三) 被告車は、車体全面に泥土が付着していたが、本件事故後、荷台左側面の前下角及び後下角にふき去り痕があつた(仮に右側面にもふき去り痕があつたとしても、それは本件事故後付けられたものである。)ほか、被告車の左側前輪には子供の掌大の黒色の変色が、左側後輪には一条の変色が認められたのであるが、右各ふき去り痕及び各変色は、いずれも、本件事故の際、亡青山の身体及び原告車との接触により生じたものとみられる。すなわち、荷台左側面の前下角のふき去り痕は、後記のとおり、亡青山が、被告車の左側バツクミラーの鉄棒により後頭部に打撃を受けた後、従前の走行姿勢を崩し、かなり右側に傾斜した状態で右側肩甲部を被告車に接触させた際生じたふき去り痕、荷台左側面後下角のふき去り痕は、更に傾斜した状態で左側肩甲部を接触させた際生じたふき去り痕とみられ(亡青山の両肩甲部には、右状況に対応して表皮剥離を伴う擦過傷があつたが、右両擦過傷は、亡青山が転倒後停止に至る間身体右側を下にして路上を滑つていつたことに鑑み、路上に転倒後生じたものではない。)、また、被告車左前輪の子供の掌大の黒色の変色は、亡青山が、被告車の左側バツクミラーの鉄棒により後頭部に打撃を受けた直後、原告車がなお直立状態にある間、原告車の前輪が接触した際生じた痕跡とみられ、被告車左後輪の一条の変色は、亡青山が、走行姿勢を崩しかなり右側に傾斜した際、原告車の右側バツクミラーが接触して生じた痕跡とみられ、結局、被告車の荷台左側面の各ふき去り痕及び被告車の左側両輪の各変色は、本件事故の際原告車及び亡青山の身体との接触により生じたとみるべきこと。

(四) 原告車は、たしかに、被告車との接触前、直立状態で、その左側バツクミラーの支柱を井上車の荷台右後角に衝突させた(原告車の左側バツクミラーの支柱に残つている打撃痕の地上高が一・〇七メートルで、井上車の荷台右後角に残つている衝突による塗料剥離痕の地上高が一・〇六メートルであることを併せ考えれば、原告車は直立した状態で井上車と衝突したことが明らかである。)のではあるが、その際井上車と接触したのは左側バツクミラーだけで、ハンドル左側先端は井上車の荷台右角下を無事に通り抜け、しかも、接触した左側バツクミラーの支柱は根本のねじがゆるんで衝撃が緩和されたため、原告車は転倒するには至らなかつたか、仮に転倒するとしても、転倒直前十分防禦姿勢を採りうる状態にとどまつていたところ、原告は転倒時受傷した頭蓋内損傷の致命傷により死亡したものであるから、亡青山は、転倒前井上車以外の車両である被告車により衝撃を受け、防禦姿勢を取るいとまもなく転倒したというべきところ、亡青山の後頭部には二センチメートルの挫傷があり、この傷は、前記の被告車の走行状況と照らし合わせれば、被告車の左側バツクミラーの鉄棒の一撃により生じたとみるべきこと。

(五) なお、本件事故直後の初動捜査当時は、福田は被告車が原告車と接触した可能性を肯定していたのみならず、捜査官も、(二)記載の条痕Cは被告車の左側タイヤによるもので、被告車と原告車の衝突地点は同条痕の始点に当たるとみ、また、(三)記載の被告車の荷台左側面の各ふき去り痕及び左側両輪の各変色とも本件事故による接触痕と認めていたこと。

三  責任原因

被告株式会社天狗(昭和四九年四月一日変更前の商号は「株式会社天狗食品」である。)は、被告車を保有し自己のため運行の用に供していた者であるから、自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)第三条の規定に基づき、本件事故により亡青山及び原告両名が被つた損害を賠償する責任がある。

なお、自賠法第三条の規定に「運行によつて他人の生命又は身体を害したとき」との主張立証は、死傷の発生及びこれに時間的・場所的に接近した自動車の通り合わせの主張立証で足りると解すべきであり、車の接触の有無等具体的な事故の発生状況は免責事由を主張立証すべき被告会社が主張し立証する責任があるというべきである。

四  身分関係

亡青山は、昭和二九年七月一一日生れの男子で、原告青山光英はその父、原告青山ヒデ子はその母で、亡青山の相続人は原告両名のほかにいない。

五  損害

1  治療費 金一一万円

亡青山は、本件事故による傷害につき、金一一万円を下らぬ治療費を要し、同額の損害を被つた。

2  逸失利益 金三、二四三万円

亡青山は、昭和二九年七月一一日生れの男子で、本件事故当時育英工業高等専門学校に在学中であつたが、本件事故に遭遇しなければ、同校卒業予定月の翌月である昭和五〇年四月から六七歳にとどまつている昭和九七年三月まで四七年間稼働し、最初の一年間は昭和五〇年四月高専卒業者の平均初任給月収金八万三、三二三円の一六か月分、続く一年間は昭和五一年四月高専卒業者の平均初任月収金八万七、八四八円の一六か月分、その後の四五年間は毎年労働大臣官房統計情報部編賃金構造基本統計調査による昭和五一年産業計・企業規模計・短大卒男子労働者の全年齢計賃金年収金三〇五万四〇〇円の八・八パーセント(昭和五二年度労働省調査による民間主要企業春季賃上げ率)増である年収を得、その生活費として右各収入の五割を要したものとみるべきであるから、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し、亡青山の得べかりし利益の昭和四七年三月末日の現価を算出すると金三、四八六万六、二六二円を下らぬところ、亡青山は、本件事故に遭遇しなければ、前記高等専門学校を卒業するまでの三年二か月は毎月金七万円を超えぬ養育費を要した筈であるから、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除し、右養育費の前同日の現価を算出すると金二四三万四、〇四〇円となるので、同額を前記得べかりし利益額から控除すると、亡青山の養育費控除後の得べかりし利益は金三、二四三万円を下らない。

3  慰藉料 総額金一、〇〇〇万円

(一) 亡青山の死亡慰藉料 金四〇〇万円

(二) 原告両名の固有の慰藉料 各金三〇〇万円

仮に(一)が認められないなら、各金五〇〇万円を主張する。

4  葬儀費用 総額金三〇万円

原告両名が、各金一五万円あて負担した。

5  弁済 総額金三六〇万円

原告両名は、本件事故による損害賠償として各金一八〇万円を受領した。

6  弁護士費用 総額金三九二万円

原告両名が金一九六万円宛負担する。

六  よつて、原告両名は、それぞれ、本件事故により亡青山が被り原告両名が法定相続分である二分の一宛相続した前項1、2及び3(一)の損害賠償請求権の二分の一である金一、八二七万円に前項3(二)及び4の損害額を加算し前項5の弁済額を控除後前項6の弁護士費用を加算した金二、一五八万円並びにこれに対する本件事故発生の日の後である昭和四七年四月一日から支払済みに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

七  免責の主張に対する答弁

本件事故の発生状況は前記主張のとおりであり、被告の免責の主張は争う。

第三被告の答弁等

被告訴訟代理人は、請求の原因に対する答弁等として、次のとおり述べた。

一  請求の原因第一項の事実中、原告両名主張の日時頃、亡青山が原告車を運転して本件道路を大森方面(南東)に走行中、交通事故に遭遇して負傷し、同日死亡したこと及び被告車が、本件事故発生の頃、本件事故現場を同方向に通り掛つた事実は認めるが、その余の事実は否認する。

二  同第二項の事実は、争う。

原告両名は、被告車は原告車若しくは亡青山と接触した旨主張するが、本件事故後の鑑定によれば、被告車の左側バツクミラー及びその鉄棒には何らの異常もなく、その車体には衝突痕も亡青山の着衣による繊維痕も認められず、また、亡青山の着衣にも衝突痕はなく、被告車の泥土も付着していなかつたのであり、加えて、条痕Cは、実況見分調書によれば擦過痕であるとされており、その位置も福田が進行したと指示している地点と明らかに異なるのであるから、右主張は失当である。

三  同第三項前段の事実中、被告が被告車を保有し運行の用に供していた事実は認めるが、本件事故が被告車の運行に起因しているとの事実は否認する。

四  同第四項の事実は、知らない。

五  同第五項5の事実は認めるが、同項のその余の事実は知らない。

六  免責の主張

被告には、次に述べるとおり、自賠法第三条ただし書に規定する免責事由があるから、原告両名に対し損害を賠償すべき責任はない。すなわち、福田は、被告車を運転し、本件道路内回り線を時速四五キロメートルないし五〇キロメートルで走行し、停車中の井上車の後端の約八・五メートル手前付近で原告車を追い抜き、井上車右側面との間に約一・八メートルの間隔を保ちつつ走行し続けたところ、折しも、亡青山は、前方不注視、ハンドル操作不適当若しくは井上車との衝突の危険に関する錯誤により、原告車左側バツクミラーを井上車右後角に衝突させて転倒したのであるから、被告及び福田は被告車の運行につき何ら注意を怠つておらず、本件事故は専ら亡青山の過失により発生したものであり、また、被告車には構造上の欠陥も機能の障害もなかつたものである。

第四証拠関係〔略〕

理由

一  本件事故の発生状況

1  亡青山が、原告両名主張の日時頃、原告車を運転して本件道路を大森方面(南東)に走行中、交通事故に遭遇して負傷し、同日死亡したこと及び被告車が、本件事故発生の頃、本件事故現場を同方向に通り掛つたこと並びに原告車が井上車と衝突したことは当事者間に争いがなく、右事実に原本の存在及び成立に争いのない甲第一号証ないし第三号証、成立に争いのない甲第四号証の一ないし三、第五号証の一、二、第七号証、第九号証、第一六号証、第二五、第二六号証、第二八、第二九号証、第三一号証及び第三三号証なかし第三五号証、本件事故現場、井上車及び原告車の写真であることに争いのない甲第八号証の一、井上車、原告車及び被告車の写真であることに争いのない甲第八号証の二、原告青山光英の昭和五一年三月三一日撮影に係る本件事故現場の写真であることに争いのない甲第一〇号証の一ないし四、亡青山の遺体の写真であることに争いのない甲第一七号証、本件事故現場の写真であることに争いのない甲第二三号証の一ないし二五及び同第二四号証の一ないし一三、被告車の同型車の写真であることに争いのない甲第二七号証の一ないし二三、原告車の同型車等の写真であることに争いのない甲第三〇号証の一ないし一〇、原告車の写真であることに争いのない甲第三二号証の一ないし四六及び本件事故現場の写真であることに争いのない甲第三七号証、証人井上貞一郎、同大石勝央、同杉山常夫、同鳥海敬之、同室井富三(第一、二回)及び同笠松清治(第一、二回)の各証言並びに訴取下前の相被告福田一夫(第一、二回)及び原告青山光英各本人尋問の結果並びに証人兼鑑定人乾道夫の証言及び鑑定の結果(甲第四号証の一及び第九号証の記載並びに証人井上貞一郎、同大石勝央、同杉山常夫、同鳥海敬之の各証言並びに訴取下前の相被告福田一夫本人尋問(第一、二回)の結果中、後記措信しない部分を除く。)並びに弁輪の全趣旨を総合すると、

(一)  本件事故現場は、見取図第一及び第二のとおり、長原方面(北西)から大森方面(南東)に続く全幅員二五メートルで歩車道の区別があり、その車道はチヤツタバー等によるセンターラインにより外回り線(長原方面行車線)と内回り線(大森方面行車線)に区分された環状七号線(本件道路)の内回り線路上で、内回り線は、本件事故現場付近において、路端沿いの幅員五・二メートルの通行帯(以下「第一通行帯」という。)とセンターライン寄りの幅員三メートルの通行帯(以下「第二通行帯」という。)に区分線(以下この区分線を「区分線」という。)により区分され、大森方面にゆるやかな下り坂となつたほぼ直線の道路となり、制限最高時速が五〇キロメートル(原動機付自転車は除く。)と指定され、終日駐車禁止、午前七時から午前九時までの間及び午後一七時から午後一八時までの間駐停車禁止の規制がされており、本件事故当時、晴天で見通しは良く、通行車両は多かつたこと、

(二)  井上貞一郎は、本件事故発生前、井上車(全長四・二七メートル、車幅一・六九メートル)を運転し、内回り線を走行中、同車が故障したため、本件事故現場に本件道路に対しほぼ直角に設けられた歩道橋の下に見取図第一及び第二の〈A〉のとおり、前部を大森方向に向け、右側面を路端(以下「路端」とは、内回り車線の車道左端をいう。)から二・一メートルに位置させて井上車を停車していたこと、

(三)  亡青山は、昭和四六年一〇月上旬原付免許を取得したが、原動機付自転車を所有していなかつたため、友人から、若者向けのミニスポーツ車で排気量四九立方センチメートルの、同一排気量の他の原動機付自転車に較べてハンドルの先端の地上高と座席面の地上高との差が少ない原告車(ホンダベンリイSS五〇型。なお、同車の座席は、前傾姿勢が取りやすいように、他の原動機付自転車より細くかつ長くなつており、荷台及び同乗者のための座席は設けてなく、ハンドル幅は〇・六一メートルで、バツクミラー先端相互の幅は〇・六八メートルである。)を借り受け、本件事故当時、内回り線の路端から一メートル付近を時速三〇キロメートル程度で南東進し、井上車の約一〇メートル手前に至り、はじめて井上車との衝突の危険に気付き、右側にゆるくハンドルを切るとともに急制動措置を採り(その際見取図第一のスリツプ痕Aを路上に印象した。)、井上車右後角付近を通り抜けようとしたが、原告車左側バツクミラーの支柱上部(地上高一・〇七メートル)を井上車の荷台右後角下部(地上高一・〇六メートル)に衝突させ、その際同見取図の条痕Bを路上に印象し、その直後、原告車は、右側に転倒して、同見取図の一・二メートルの擦過痕(条痕C)、八・四メートルの擦過痕E及び六・八五メートルの擦過痕Fを路上に印象しつつ路上を大森方面に滑走し、井上車後端から約一一メートル付近である見取図第二の〈6〉付近に停止し、亡青山は、その約一・五メートル手前である同見取図の〈5〉付近に頭部右側を下にし、うつ伏せに倒れ、その後間もなく頭蓋内損傷により死亡したこと、

(四)  井上貞一郎は、本件事故発生時、井上車の運転席(前部右側)に座つていたが、まず井上車右後でガチンという衝突音を聞き、右方を見たところ、見取図第二の〈ウ〉付近である自車の約二メートル側方を被告車が通り抜け、その後、原告車が右側に倒れた状態ですり抜けて前記の位置に停止し、亡青山が前記の位置に倒れたのを目撃したこと、

(五)  福田は、被告車(後部荷台が白銀色の箱型となつているいわゆるアルミバンで、箱型荷台部分の幅は一・八二メートルで、その両側は前部運転席の両側面からそれぞれ〇・〇八メートル突出し、両バツクミラーの先端は箱型荷台の両側面よりそれぞれ約五センチメートル突出しており、全長四・八八メートルでデイーゼルエンジンを登載している。)を運転し、本件事故現場の約三〇〇メートル手前(長原側)の信号機による交通整理の行われている夫婦坂交差点で先行車四、五台に続いて信号待ちをした(原告車も、路端沿いの先頭で信号待ちをした。)後青信号に従つて発進し、第一通行帯を走行したが、原告車は、デイーゼルエンジン駆動の貨物自動車で、他車に較べて加速能力が劣り、先行車との間に距離がひらいていく状態で走行し、時速五〇キロメートル程度で本件事故現場の手前付近から次第に区分線寄りを走行し、井上車の後端の手前約二〇メートル付近である見取図第二の〈ア〉付近で、被告車右側面が区分線にかかる状態(従つて、被告車左側面は路端から約三・四メートル付近となり、停車中の井上車右側面の延長から約一・三メートル付近となる。)で走行し、約一〇メートル進行した同見取図〈イ〉付近で、路端から約一メートル付近を走行しつつ右にゆるやかにハンドルを切るとともに急制動措置を採つた原告車を追い抜きはじめるとともに区分線上に自車運転席が当たる状態に若干進路を変更し、井上車右側面と被告車左側面とのあいだに二メートル程度の間隔を保ちつつ直進し、約二〇メートル進行した同見取図〈エ〉付近で、左側バツクミラーにより、原告車が井上車の右後角付近である同見取図〈3〉付近で動揺しているのを認め、事故の発生を知り、路端沿いに停車したが、原告車と接触したとの認識は全くなかつたこと、

(六)  被告車には、本件事故当時、後記箱型荷台の四隅を除き車体全面に泥土が付着していたが、衝突痕あるいは着衣等による繊維痕等本件事故による接触痕は全く印象されてなく、亡青山の着用していたジヤンバー、ズボン、靴、靴下及び手袋にも衝突痕及び泥土は付着しておらず、ただズボン下部に地面を擦つた際付着したとみられるほこり等が付着していたにすぎず、原告車右側面及び後部には路面との擦過痕のほか、他車との衝突痕は認められなかつたこと、

以上の事実を認めることができ、甲第四号証の一及び第九号証の記載並びに証人井上貞一郎、同大石勝央、同杉山常夫及び同鳥海敬之の各証言並びに訴取下前の相被告福田一夫本人尋問(第一、二回)の結果中右認定に反する部分は、前段認定に供した各証拠に照らして措信し難い。

2  しかして、右認定の事実によれば、被告車が原告車若しくは亡青山に衝突したものとは認められず、更に、被告車の原告車の追い抜き状況についても、停車中の井上車の存在を考慮しても、特段の異常な走行方法は認められず、他方、前掲甲第四号証の一によれば、見取図第一のとおり、井上車の後方には、全長二・二三メートルの前記スリツプ痕Aが、路端側から井上車の荷台右後端付近に向け、その先端が路端から一・六メートル、後端が路端から一・八メートルで井上車後端から一・五メートルの位置に印象されており、このことに、時速三〇キロメートル程度の二輪車の急制動措置時の空走距離が四メートルないし六メートル程度は必要である顕著な事実を併せ考えれば、亡青山が井上車の後方で急制動措置を決意した位置は、井上車後端の八メートルないし一〇メートル程度手前で、路端から一・一メートルないし一・二メートル付近であつたと推認しうるのであつて、この事実に、本件事故現場付近では直進二輪車の多くは路端から一・一二メートル付近を走行している(この事実は前掲甲第三五号証によつて認められる。)事実及びスリツプ痕Aの方向を併せ考えれば、亡青山は、路端から一メートル付近を直進中、井上車の後端の手前八メートルないし一〇メートルの付近に差し掛つたところではじめて井上車との衝突の危険に気付き、ハンドルをゆるく右に切りつつ急制動措置を採つたもので、右措置を採るまでの間、前方不注視若しくは目測の過りの過失があつたものと推認せざるをえず、右の亡青山が急制動措置を決意した位置及びその直前の原告車の走行状況並びに前記認定の被告車の追い抜き前後の走行位置及び走行状況に鑑みれば、被告車の原告車追い抜き時の動静に起因して亡青山がハンドルをゆるやかに右に切りつつ急制動措置を採つたものとも認め難い。

3  原告両名は、右と異なり、本件事故の態様につき、請求の原因第二項2の各根拠を挙げて、同項1の如き事故態様であつた旨主張し、成立に争いのない甲第一八号証(東郷和英作成の「東郷第一鑑定書」と題する書面)、第五四号証(同人作成の「東郷第二鑑定書」と題する書面)及び第五五号証(同人作成の「東郷第三鑑定書」と題する書面)並びに証人兼鑑定人東郷和英の証言及び鑑定中には、これに沿う記載及び供述が存するので、以下右各根拠につき順次検討する。

(一)  請求の原因第二項2(一)の点について

被告車と原告車が、本件事故現場の約三〇〇メートル手前の夫婦坂交差点で信号待ちをした後発進して本件事故現場に差し掛つたことは前記認定のとおりであるから、リコー前交差点から両車が発進したとして被告車の速度を推し量ることはその前提において失当であり、また、前掲甲第四号証の一によれば、福田は、本件事故直後の実況見分時、捜査官に対し、井上車後端の約二〇メートル手前を走行中、井上車の後端から八・五五メートル付近を走行中の原告車を認めた旨指示していることが認められるのではあるが、他方、同人は、同一実況見分時、右の原告車の位置付近で原告車を追抜いた旨指示していることが認められるのであり、その指示点は矛盾しているのであつて、このことに、一般に、実況見分時、走行中の自動車から認識したとして指示する他車との距離関係はさまで正確ではない顕著な事実を勘案すれば、右程度の事実を基礎に被告車の速度を推し量ることは困難であるから(井上車後端で被告車前部が原告車に追付いたとする前提事実も明らかに実況見分時及び本件口頭弁論における福田の供述と異なる。)、右事実は、未だ福田が供述し、証人井上貞一郎の証言ともほぼ符合する被告車の時速が五〇キロメートル程度であつたとの前記認定を左右するには足りない。

(二)  請求の原因第二項2(二)の点について

本件事故後、井上車の付近路上には、見取図第一のとおり、スリツプ痕A、条痕B、条痕C、擦過痕E及び擦過痕Fが路面に印象されていたことは前記認定のとおりであるところ、前掲甲第四号証の一及び証人笠松清治の証言(第二回)によれば、条痕Cは明らかに擦過痕と認められるのみならず、右甲第四号証の一並びに証人井上貞一郎、同大石勝央、同杉山常夫、同鳥山敬之の各証言及び訴取下前の相被告福田一夫本人尋問(第一、二回)の結果を総合すれば、被告車は、井上車の付近で急制動措置を採つたり、急に方向変更をしたことはなく、従前の速度のまま直進し続けたことが認められるのであるから、被告車により条痕Cが印象されることはありえず、従つて、条痕Cが被告車のタイヤにより路面に印象されたことを前提とする原告両名の主張には左袒しえない。

(三)  請求の原因第二項2(三)の点について

前掲甲第四号証の一、二及び第八号証の二並びに証人笠松清治の証言(第一、二回)並びに原告青山光英及び訴取下前の相被告福田一夫本人尋問(第一、二回)の結果を総合すると、被告車には車体全面に泥土が付着していたところ、たしかに、本件事故直後、被告車の後部箱型荷台左側の両隅の車幅灯部分に泥土の拭い去り痕が、また、被告車左前後輪には黒色の変色部分が存在したことが認められるのであるが、右各証拠によれば、この拭い去り痕は、福田が、本件事故当日の早朝、被告車を運転して茨城県の被告の工場を出発する際、被告車が荷台が大きなアルミバンであるため、路地等に進入する際周囲の建造物との間隔を確めるため、荷台の金属面の反射を利用して車幅灯の照度を増すべく、荷台四隅の車幅灯に近い部分をブラシを用い水で洗つたため生じたもので、また、被告車左側前後輪の黒色の変色部分については、本件事故翌日、警視庁科学検査所の技術吏員が衝突痕ではない旨鑑定したことが認められるのであるから、結局、被告車の荷台左側面の拭い去り痕及び左側両輪の変色は本件事故により生じたものとは認められず、従つて、そのいずれもが本件事故により印象されたことを前提とする原告両名の主張には左袒できない。

なお、原告両名は、亡青山は被告車の左側バツクミラーの鉄棒により後頭部を打撃された旨主張し、前掲甲第五号証の一によれば、亡青山は後頭部左側に約二センチメートルの挫創を負つたことが認められるが、原告車及び被告車の各類似車のつき合わせ実験の写真であることに争いのない甲第五六号証の二ないし四に徴すれば、亡青山の身体が被告車の車体に触れることなく、亡青山の後頭部左側が被告車の左側バツクミラーの鉄棒により打撃されることはありえないというべきところ、亡青山の着衣には衝突痕も泥土も付着してなく、被告車にも何らの衝突痕も繊維痕も付着していなかつたことは前記認定のとおりであるから、右主張にも左袒しえないところである。

(四)  請求の原因第二項2の(四)の点について

原告車がその左側バツクミラーの支柱を井上車の右後角にほぼ直立の状態で衝突させた(右両車の衝突痕の地上高がほぼ同一であることから、原告車はほぼ直立の状態で衝突したものと推認しうる。)ことは前記認定のとおりであり、前掲甲第四号証の二並びに証人兼鑑定人東郷和英の証言及び鑑定の結果によれば、原告車の左側バツクミラーの支柱の止めねじは右衝突によりゆるんだこと及び右衝突時、原告車の左側ハンドルの先端は井上車の荷台下部を通過したことが認められるが、前掲甲第八号証の二中の井上車の衝突痕の写真に前掲甲第三〇号証中の亡青山と身長等の条件がほぼ等しい亡青山の兄が乗車した原告車と同型車の写真を対比し、これに前記認定に係る原告車と井上車の衝突状況を勘案すると、亡青山は井上車との衝突時左手を左ハンドルから離したものと推認しうる(前掲甲第二、第三号証、第五号証の一、二、第九号証及び第一七号証並びに弁論の全趣旨を総合すると、亡青山はその左腕及び左手に特筆するに足りる傷害を受けていなかつたものと認められる。)のであつて、このことに、原告車は時速三〇キロメートル程度で走行していたところ、井上車との接触直前急制動措置を採つていたこと及び井上車との接触によりハンドルが左に回転された事実(前記認定に係る井上車との衝突状況を勘案すれば十分推認しうる。)を併わせ考えれば、原告車は、井上車との接触により、瞬時に安定を失つたものと容易に推認しうるのであつて、井上車との接触により、亡青山は転倒する筈はなく、仮に転倒したとしてもその直前十分防禦姿勢を採りえたとの事実を前提とする右主張も左袒しえない。

二  被告の責任について

右のとおりであるから、本訴は、亡青山の死が被告車の運行によつて生じたことについて、その事実上の因果関係の存在がいまだ証明がなされていないことに帰することになり、その余の点について判断するまでもなく失当として棄却を免れない。

なお、原告両名は、右の点の立証は、死傷の発生及びこれに時間的・場所的に接近した自動車の通り合わせの立証で足りる旨主張するが、自賠法にはかかる明文の規定はないのみならず、右の如き解釈は、死傷の発生時に通り合わせた事故と無関係な自動車の保有者にまで厳格な自賠法第三条ただし書の免責の立証責任を負担させることになるので、当裁判所の採用しないところであり、また、仮に、右の主張は、死傷の発生及びこれに時間的・場所的に接近した自動車の通り合わせが立証されれば、経験則上、当該自動車の運行により死傷が発生したものと推認すべきであるとの主張と解しても、本件については、事故発生時、被告車が通り合わせたにとどまらず、原告車が井上車に接触したというそれだけでも十分亡青山の死を発生させうる特段の事情が存在したのであるから、右の如き推認が許されないことは明らかである。

三  むすび

よつて、原告両名の本訴請求は、これを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条及び第九三条の規定を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 島内乘統)

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